笑ウJENAニハ福キタル

些細なことで笑顔になれるシアワセ。
さあ笑いましょう。

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聴こえるということ。聴くということ。
2年半ほど前、最悪の場合は左耳の聴覚を失いかねないという危機がありました。

病名は内耳炎。

一時は検査上で半分以下まで落ちてしまった聴覚。「最悪の場合は…」との言葉に、真っ先にアタマの中を占拠した『歌えなくなるのではないか』という強烈な不安。
その不安を真剣に受け止めてくれる心強い耳鼻科医と出会えたこと、そしてたくさんの温かい励ましもあって、数ヶ月の治療の後に、私は再び歌うことができるようになりました。

(その時の心境を綴った日記はこちら → 「聴こえるということ」

おかげさまで現在は、ほぼ元通りです。
「ほぼ」というのがまたビミョーなところですが、「ほぼ」と「完治」の差もまたビミョーであります。

先月、中島美嘉が「耳管開放症」という病気で活動休止とのニュースがありました。藤あや子は今年6月から「突発性聴覚障害」という病気で療養していて先月復帰したとか。
たまたま重なった歌い手の耳の病気のニュースに、私も自分の耳について再び様々な思いを重ねていました。
そこへ、耳のトラブルを抱えてしまったという方からつい最近ご相談を受ける機会もさらに重なり、これは「聴こえるということ」を今もう一度考えてごらんなさい、という何かなのかなと。

中島美嘉の「耳管開放症」。
私が内耳炎で抱えた症状のひとつに「耳管狭窄」というのがあります。耳管狭窄は「自声強聴」という、自分の声がこもったように大きく響いて聴こえてしまう状態になり、耳管開放もそれと同じような状態になると聞いています。
藤あや子の「突発性聴覚障害」。
こちらは、音が二重に聴こえたり、大きい音や鋭い音が余計に強く響いてしまったり、という状態だったというようなことをご本人が言っていたのをテレビで見ました。まさにこの症状も私を悩ませたものでした。

私の場合は病因が「内耳炎」ですから、お二人の症状と全く同じではないんだろうと思いますが、似た症状というところだけ見ても、特に歌い手としてはお二人とも相当なつらい病気を抱えられたということが痛いほどにわかります。

私を数ヶ月の間「歌うことのできない状態」で苦しめた原因は、当初の診断から大きな不安としてのしかかってきた「聴こえなくなるかも」というものではありませんでした。実際には「まともな聴こえ方」ができないことだったわけです。
病院で数字上で確認できるのは、健康診断なんかで誰もがやったことのあるいわゆる聴覚検査だけ。その検査でも一時は正常時の半分以下まで落ちていたわけですが、先ほどの症状のほかに耳鳴りだったり音質が奇妙だったり、とにかく数字であらわすことのできない症状のほうがずっと厄介でした。
病院でも自分でうまく説明ができないから、説明すらできない症状を治療するなんて、まるで雲をつかむ思いの日々。
私の通った耳鼻科の先生が、たまたまその「雲をつかむ思い」を真剣に考えてくれる人だったのは何よりのラッキーだったと思います。

今現在、聴覚はほぼ正常に戻っています。うっすらと常に3音の耳鳴りがしていますが、これもほとんど気になりません。多少の聴覚過敏がたまに気になることもありますが、日常にはほとんど支障ありません。
…という感じで、どうやら完璧なる治癒というわけにはいかなかったようではあります。
この病気になる前の状態は今となっては思い出せないので、それまでと今とをON/OFFで聴き比べたらそれなりに違うのかもしれませんが、今の状態で全く問題はありません。
だからこそ言えることではありますが、むしろ、この病気を経ることができてよかったと思っています。「聴こえるということ」、それをここまで真剣に考えることができた。そのことはこの病気で苦しんでいた間にも痛感したことです。

今ここで思い返してみて、さらに大きな思いを得ることができていたのだと気づいたことがあります。
「聴こえる」ということは、普通は誰もが生まれながらにして与えられた感覚です。ある意味「受動的」です。でも、この「聴こえる」を失いかけて初めて時間をかけて苦しみながら考えてみて、さらにその苦しみを乗り越えてみたら、これは“「聴くこと」のできる感覚”なのだということ、「能動的」な感覚なのだということに改めて気づきました。

すごく当たり前なことでありながら、すごく大事なこと。うまく説明できないんだけど。

耳鳴りがしたり、自分の声が大きく響いたり、二重に聴こえたり、鋭い音がうるさかったり、本来なら聴こえてほしくない音に悩まされている間、本来なら聴きたいはずの音はかき消されてしまう。そういう状態だと、「聴くこと」がイヤでイヤでしょうがなくなる。
今は、未だに耳鳴りは残っているけれど、わざわざ「聴くこと」をしなければ気にならない程度です。聴きたいほうの音を「聴くこと」ができます。
そういうこと。
自ら「聴く」ということは、それ自体が意志であるということ。
大げさかもしれませんが。
そういうこと。

「聴く」という能動的な感覚を、「聴こえなくなるかも」から復帰させてもらえた以上、ましてや音楽に携わっている以上、より大切に使わなければいけないんだな、と思っています。

私のカバンの底のほうのどっかには、今でも「耳栓」が入っています。症状がきつかった頃に持ち歩いていた名残です。今、自ら「聴くこと」をしている幸せを確認するためにも、お守りとしてまだしばらくは持っていたいと思っています。
| おもう | 19:55 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
なにはともあれ良かったですね!
「聴く」ことの意味が昔のそれと大きく変化して、「歌う」ことにもきっといい影響をおよぼしてくれるんじゃないでしょうか。
耳鳴りは残ってるようですが、症状がより改善するように、かげながら祈ってます!
| TGEnsemble | 2010/11/26 6:51 PM |
TGEnsembleさん。
ありがとうございます。
聴くことの幸せを感じるほどに、聴いてもらえることのありがたみをなお深く感じます。そんなこと丸ごとに感謝です。
| JENA | 2010/11/26 7:07 PM |









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生業:うたうたい

「ニホンゴ話せますか?」とよく訊かれるが、生粋の江戸っ子、神田の生まれ。
英語で歌い、ポルトガル語で歌い、スペイン語で歌い、時にタガログ語でナンパされる。そんな無国籍な風貌でありながら、明神下で日本舞踊を教える父を持つ。
一番好きな酒はテキーラだが、一番好きな食べ物はあん肝(一緒にヤッてみたことはまだない)。
「無節操」をポリシーに、明るく楽しいビンボー生活をエンジョイしながら、日々、歌っている。

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